大津市役所裏手の山間に古墳のようなお墓があるのを知っていますか?

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大津市市役所の裏手は山となっていますが、すぐ裏の山間に古墳のようなお墓があるのをご存じでしょうか?

脇を自然歩道が通っているので、トレッキングが趣味の方はご存じかと思いますが、知らない方の方が多いものと思います。

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源頼朝の高祖父の弟 源義光のお墓

2021/4/11撮影

墓は1045年~1127年に活躍していた源氏の侍・源義光のものです。

源義光を知らない方も多いと思いますので、源氏の侍で有名な源頼朝を基にすると、彼の御祖父さん(源為義)の御祖父さん(源義家)の末の弟です。つまり高祖父の代の侍です。

源義光が元服した場所が新羅善神堂であったことから元服後は新羅三郎と名乗りました。三男だから三郎なんですね。

お墓の前には大津市教育委員会により案内板が立てられています。

2021/4/11撮影

新羅三郎は、源義光のことで源頼義の子にあたります。
兄に源義家、源義綱がいます。
新羅三郎というのは園城寺の北院の鎮守新羅明神をまつる新羅善神堂の神前において元服したことにちなむもので、兄も八幡太郎義家、加茂二郎義綱とそれぞれ元服した神前に由来する名を別に有しています。
義光は弓馬の道にすぐれ、後三年の役(1083~87)には、兄の義家を助けるため奥州へでむいて、清原氏の乱を兄に協力して治めています。
義光は、1127年に没し、この墓が新羅三郎義光の墓といわれています。

大津市教育委員会
昭和62年3月

2021/4/11撮影
2021/4/11撮影

源義光が元服した新羅善神堂は国宝

新羅善神堂 ここで源義光が元服したと伝えられる

源義光が元服した場所である新羅善神堂は 貞和三年頃の造立の足利尊氏による再興の伝えをもつ社殿で国宝に指定されています。

新羅善神堂へはJR大津京下車、徒歩10分。京阪石坂線大津市役所前、徒歩5分。源義光の墓は新羅善神堂からさらに山の奥へ5分程度入った場所にあります。墓所は少し険しい山間の道を進むので、スニーカー、トレッキングシューズが必須です。

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