崇福寺跡:滋賀県大津市に眠る幻の大津京の鍵

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滋賀県大津市滋賀里町にひっそりと佇む 崇福寺跡 は、飛鳥時代後期から室町時代にかけて存在した古代寺院の遺跡であり、日本史における重要な史跡の一つです。この寺は、天智天皇が近江大津宮(大津京)の鎮護を目的として建立したとされ、かつての壮大な伽藍の面影を今に伝えています。本記事では、崇福寺の歴史的背景、遺跡の概要、そしてその意義について詳しく掘り下げ、その魅力をご紹介します。

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崇福寺の歴史的背景

崇福寺は、天智天皇7年(668年)に創建されたと伝えられています。この年は、天智天皇が飛鳥から近江大津宮に遷都した翌年にあたり、都の守護を目的として建立された官寺です。『扶桑略記』によると、崇福寺の造成は天智天皇の命により始まり、「建崇福寺。始令平地。」と記されていますが、実際の完成は山岳寺院という特殊性や壬申の乱(672年)の混乱もあり、671年頃から687年頃にかけて段階的に進んだと考えられています。

崇福寺は、志賀寺、志賀山寺、紫郷山寺とも呼ばれ、十大寺または十五大寺の一つとして古代日本の仏教文化において重要な役割を果たしました。729年(天平1年)には官寺に列せられ、聖武天皇や嵯峨天皇の行幸礼仏の記録も残るなど、奈良時代から平安時代初期にかけて栄華を誇りました。しかし、平安時代中期以降、921年(延喜21年)や965年(康保2年)の火災、さらには1163年(長寛1年)に延暦寺の衆徒による焼き討ちを受け、園城寺(三井寺)に付属する形で衰退。13世紀以降、完全に廃絶しました。

崇福寺跡の概要

崇福寺跡は、比叡山から南に延びる三つの尾根(北尾根、中尾根、南尾根)にまたがる広大な遺跡で、1928年(昭和3年)と1939年(昭和13~14年)の発掘調査によりその全貌が明らかになりました。遺跡は国の史跡および歴史的風土特別保存地区に指定されており、塔心礎から出土した舎利容器などの納置品は国宝に指定されています。

伽藍配置

崇福寺跡の伽藍は、谷を挟む三つの尾根に配置されています:

  • 南尾根:金堂跡と講堂跡が位置し、主要な伽藍の中核を成します。金堂跡には「崇福寺旧址」の石碑が立ち、往時の荘厳な雰囲気を偲ばせます。
  • 中尾根(丸山):小金堂跡と三重塔跡が確認されています。特に塔心礎からは国宝指定の舎利容器が出土し、注目を集めています。
  • 北尾根:弥勒堂跡があり、弥勒三尊仏を安置していたと考えられています。礎石や瓦積基壇が残り、3間×5間の建物だったと推定されます。

これらの伽藍は、山岳地帯に適応した特異な配置を持ち、古代寺院としては珍しい山岳寺院の例とされています。また、文献には燈籠、鐘楼、僧房、法華堂などの堂宇も記載されていますが、これらは未発見のままです。『扶桑略記』には檜皮葺や板葺の記録があり、崇福寺が日本最古の檜皮葺寺院とされる説もありますが、白鳳期の瓦が出土しているため、創建時の姿については議論が続いています。

国宝の舎利容器

崇福寺跡の最大のハイライトは、塔心礎から出土した舎利容器です。この容器は、金、銀、銅の入れ子構造に瑠璃製の小壺が納められた荘厳なもので、盗掘や再納置の痕跡がないことから、塔の創建と同時に納められたと考えられています。出土品の様式から、白鳳期(7世紀後半)のものとされ、朝鮮半島の慶州皇福寺の舎利容器との類似性が指摘されています。

しかし、この舎利容器をめぐっては、昭和16年(1941年)に石田茂作と梅原末治の間で「崇福寺・梵釈寺論争」が繰り広げられました。石田は容器の格狭間様式などから平安時代説を主張し、梅原は白鳳期の瓦や塼仏、鏡の様式、朝鮮半島との類似性から白鳳寺院説を支持。この論争は、崇福寺跡と隣接する梵釈寺跡の関係性をめぐる学術的議論として知られ、最終的に白鳳期説が有力視されています。

崇福寺と梵釈寺の関係

崇福寺跡は、奈良時代末期に桓武天皇が天智天皇の追悼のために建立した梵釈寺跡と複合遺跡を形成しているとされています。梵釈寺は延暦5年(786年)に建立され、崇福寺の伽藍と一部重複する形で存在した可能性があります。発掘調査では、北尾根と中尾根の建物群の方位の違いや出土遺物の年代差から、梵釈寺の存在が推定されています。ただし、両寺の正確な位置関係や役割については、未だに議論が続いています。

崇福寺跡の意義

崇福寺跡は、近江大津宮の所在地を解明する鍵として注目されてきました。近江大津宮は、天智天皇の崩御後わずか5年で廃都となり、「幻の大津京」とも呼ばれる謎多き都です。崇福寺の建立が大津京の鎮護を目的としていたことから、その位置や規模は大津京の範囲を推定する手がかりとなります。発掘調査により、崇福寺が大規模な伽藍を持つ山岳寺院であったことが判明し、大津京の文化的・宗教的重要性が浮き彫りになりました。

また、崇福寺跡は古代日本の仏教文化や建築技術を理解する上でも貴重な遺跡です。白鳳期の瓦や舎利容器は、当時の仏教美術や技術水準の高さを示しており、朝鮮半島や中国との文化交流の痕跡も見られます。国宝指定の納置品は、近江神宮で保管・展示されており、訪れる者に当時の信仰と芸術の息吹を感じさせます。

訪れる魅力と周辺環境

崇福寺跡へ続く山道 2019/11/09撮影

崇福寺跡は、琵琶湖から京都へ続く志賀越えの山道沿いに位置し、百穴古墳群や志賀の大仏、金仙滝などの名所に囲まれた静寂な山中にあります。秋には周辺が美しい紅葉で彩られ、歴史と自然の調和を楽しむことができます。アクセスは、京阪石山坂本線の滋賀里駅から徒歩で向かうルートが一般的で、約80mの階段を登ることで遺跡に到達します。花崗岩の切り通しや礎石群は、古代の息吹を直に感じられるスポットです。

まとめ

崇福寺跡は、天智天皇の志のもとに創建された古代寺院の遺跡であり、近江大津宮の謎を解く鍵として、また白鳳期の仏教文化を伝える貴重な史跡として、今なお多くの研究者や歴史愛好者を惹きつけています。国宝の舎利容器や三尾根に広がる伽藍跡は、古代日本の信仰と技術の結晶であり、訪れる者に深い感動を与えます。滋賀県大津市を訪れた際には、ぜひこの歴史の舞台に足を運び、幻の大津京の物語に思いを馳せてみてください。

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