おみくじ発祥の祖「元三大師」とは?謎多き高僧の生涯と、強力な魔除け札の秘密に迫る

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神社やお寺を訪れた際、多くの方が一度は引いたことがある「おみくじ」。吉凶に一喜一憂し、そこに書かれた言葉を心に刻む、日本の伝統的な文化の一つです。しかし、このおみくじを最初に作られたのが、実は一人の高僧であったことをご存知でしょうか。

その方の名は、「元三大師(がんざんだいし)」。

そして、家の玄関などで見かける、二本の角を持つ鬼のような姿が描かれた少し恐ろしいお札。あれもまた、元三大師に由来する強力な魔除けの護符なのです。

角大師魔除け札 2018/10/08撮影

おみくじの創始者であり、魔除けの象徴ともされる元三大師とは、一体どのような人物だったのでしょうか。今回は、平安時代に活躍し、1000年以上経った今なお、私たちの生活に深く関わる元三大師の謎多き生涯と、そのご利益の秘密に迫ります。

荒廃した比叡山を復興させた「中興の祖」- 元三大師の生涯

元三大師は通称で、正式な諡号(しごう)を「慈恵大師(じえだいし)」、俗名を木村良源(きむら りょうげん)といいます。平安時代の912年、近江国浅井郡(現在の滋賀県長浜市)に生まれました。

彼が生きた平安時代中期は、藤原氏が摂関政治によって権勢を誇る一方、世の中は決して平穏ではありませんでした。政情不安や天災、そして疫病の流行が人々を苦しめていた時代です。

良源は12歳の若さで比叡山に登り、仏門に入ります。比叡山延暦寺は、伝教大師・最澄が開いた天台宗の総本山。当時の仏教界における最高学府であり、厳しい修行の場でした。良源はそこで、持ち前の聡明さとたゆまぬ努力によって頭角を現し、数々の問答で相手を論破したことから「問答の第一人者」としてその名を知られるようになります。

しかし、当時の比叡山は最澄が開いた頃の規律が乱れ、僧兵の台頭や内部抗争によって荒廃していました。966年、良源は55歳で天台宗の最高位である第18代天台座主(てんだいざす)に就任します。彼は座主として、その卓越した指導力と実行力を発揮し、比叡山の改革に乗り出しました。

  • 規律の強化:僧侶が守るべき26ヶ条の規則を定め、乱れた山の風紀を徹底的に粛正しました。
  • 堂塔の再建:焼失していた根本中堂をはじめとする多くの建物を再建・整備し、山の景観を蘇らせました。
  • 教学の振興:学問を奨励し、後の仏教界を担う多くの優れた弟子を育成しました。

彼の尽力により、比叡山はかつての勢いを取り戻し、再び仏教の中心地として栄えることになります。この偉大な功績から、良源は「比叡山中興の祖」と称えられ、今なお篤い尊敬を集めています。

そして、985年の正月三日、74歳でその生涯を閉じました。この命日から、「元日三日の大師」という意味で「元三大師」という通称で親しまれるようになったのです。

人々の悩みに寄り添う「おみくじ」の誕生秘話

さて、そんな偉大な功績を残した元三大師が、なぜおみくじの創始者と呼ばれるようになったのでしょうか。

その起源は、元三大師が観音菩薩から授かったとされる五言四句の偈文(げもん)にあるといわれています。偈文とは、仏の教えや功徳を述べた漢詩のことです。元三大師は、この100種の偈文を元に、人々が日々の暮らしの中で抱える悩みや迷いに対し、仏様の観点から進むべき道を示す方法として「おみくじ」を考案したと伝えられています。

彼が作り出したおみくじは、現代のものとは少し異なり、まず観音様に祈りを捧げ、くじを引いて番号を得ます。そして、その番号に対応する漢詩の偈文を授かり、僧侶がその難解な詩の意味を解き明かして、相談者への助言として伝えるという形式でした。

単なる吉凶占いではなく、悩める人々の心に寄り添い、仏様の智慧を借りて解決の糸口を示す、カウンセリングのような役割を担っていたのです。この元三大師のおみくじは、天台宗の寺院を中心に広まり、やがて形を変えながら全国の神社仏閣に伝播し、現在の私たちに馴染み深いおみくじの原型になったといわれています。

今でも比叡山延暦寺の元三大師堂(四季講堂)では、この伝統的な形式に近い「元三大師みくじ」を引くことができます。もし訪れる機会があれば、その奥深い世界に触れてみてはいかがでしょうか。

元三大師堂 2011/11/13撮影

疫病神を追い払う!強力な魔除け札「角大師」と「豆大師」の謎

元三大師のもう一つの重要な側面が、「魔除けの大師」としての信仰です。その象徴ともいえるのが、「角大師(つのだいし)」と「豆大師(まめだいし)」と呼ばれる二種類の護符(お札)です。

鬼の姿で魔を降伏させる「角大師」

一度見たら忘れられない、強烈なインパクトを持つ角大師。骨と皮ばかりに痩せこけた体に、鋭い眼光を放ち、頭からは二本の角が生えている鬼のような姿は、初めて見る人を驚かせるかもしれません。

元三大師堂境内にある二つの碑

この鬼の姿は、元三大師その人の化身であると伝えられています。

平安時代、都で疫病が猛威をふるい、多くの人々が命を落としていました。人々を救うため、元三大師は静かに禅定に入ります。すると、彼の体はみるみるうちに痩せ細り、やがて恐ろしい夜叉のような姿へと変化していきました。その姿で、病魔の根源である疫病神の前に立ちはだかり、見事に退散させたといいます。

その場にいた弟子の一人が、師のその鬼気迫る姿を震える手で描き写しました。この絵こそが、日本で最古の魔除けの護符「角大師」の始まりです。

この護符を家の戸口に貼っておくと、疫病神や災厄がその恐ろしい姿を見て驚き、家の中に入ってくるのを諦めて逃げ去ってしまうと信じられています。「毒をもって毒を制す」「魔をもって魔を制す」という考え方が根底にある、非常に強力な護符なのです。

33の姿で人々を救う「豆大師」

もう一つ、元三大師の魔除け札として知られるのが「豆大師(まめだいし)」です。こちらは角大師とは対照的に、小さな元三大師の坐像が三十三体、可愛らしく描かれています。

これは、観音菩薩が三十三の姿に化身して人々を救うという教え(三十三応現身)に基づき、元三大師もまた様々な姿に身を変えて人々の苦しみを救ってくださるという信仰を表したものです。

小さな豆粒のように描かれていることから「豆大師」と呼ばれ、また「魔を滅する」という意味で「魔滅(まめ)大師」という字が当てられることもあります。角大師の護符と一対で家の入り口に貼ることで、より強力な魔除けの効果を発揮するともいわれています。

これらの護符は、特に厄除けや疫病退散にご利益があるとされ、古くから人々の暮らしを守る存在として大切にされてきました。近年では、新型コロナウイルスの流行をきっかけに、この元三大師の魔除け札が再び注目を集め、多くの寺院で授与されるようになりました。

元三大師の息吹を感じる、ゆかりの寺院

元三大師の信仰は、全国各地に広がっています。ここでは、代表的なゆかりの寺院をいくつかご紹介します。

  • 比叡山延暦寺 元三大師堂(滋賀県大津市) 元三大師が住居とした場所であり、終焉の地でもあります。比叡山の西塔、北谷という静寂なエリアに位置し、おみくじ発祥の地として知られています。四季を通して法華経が論議されたことから「四季講堂」とも呼ばれ、現在も多くの参拝者が訪れます。
  • 深大寺(東京都調布市) 関東で最も有名な元三大師信仰の中心地の一つ。「厄除元三大師」として広く知られ、正月には多くの参拝者で賑わいます。毎年3月3日・4日には、元三大師の遺徳を偲ぶ「厄除元三大師大祭」が盛大に執り行われます。
  • 喜多院(埼玉県川越市) 「川越大師」の名で親しまれる天台宗の名刹。慈恵大師(元三大師)を祀っており、深大寺や群馬県の龍眼寺と並び「関東三大大師」の一つに数えられます。徳川家光ゆかりの建造物が多く残る、歴史的にも重要な寺院です。

これらの寺院では、元三大師の護符を授与していただけるほか、元三大師にちなんだ様々な法要や行事が行われています。

まとめ:1000年の時を超えて、今なお私たちを守り続ける存在

比叡山を復興させ、おみくじを創始し、鬼の姿となって疫病から人々を守った元三大師・良源。その生涯は、まさに人々の苦しみに寄り添い、世の中をより良い方向へ導こうとする慈悲の心に満ちています。

彼が亡くなってから1000年以上の時が経ちました。しかし、私たちが何気なく引くおみくじの一枚一枚に、そして家々を守る魔除けの護符に、元三大師の教えと願いは今も確かに生き続けています。

次にあなたが神社仏閣でおみくじを引くとき、あるいはどこかで角大師の護符を目にしたとき、ぜひ思い出してみてください。私たちの文化の背後には、平安という激動の時代を生き抜き、人々の幸福を願い続けた一人の偉大な高僧の存在があるということを。その思索は、きっとあなたの心に、新たな気づきと安らぎを与えてくれることでしょう。

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