今回は、日本の有名なことわざ「急がば回れ」の語源に迫ります。このことわざは、「急ぐなら遠回りしろ」という意味で、日常生活でよく使われますよね。でも、そのルーツが滋賀県の琵琶湖周辺にあるなんて、意外と知られていないのではないでしょうか。室町時代の連歌師・宗長の歌「もののふの 矢橋の船は速けれど 急がば回れ 瀬田の長橋」が起源だと言われています。この歌は、琵琶湖を渡る速い船のルートと、遠回りだが安全な陸路を比較したものです。
今回は、この歌の舞台となった矢橋の渡し、石場の航路、そして瀬田唐橋について詳しく探っていきましょう。江戸時代以前の交通事情を振り返りながら、当時の人々が抱えた苦労や知恵を紐解きます。琵琶湖の壮大な景色を想像しながら、歴史の旅をお楽しみください。長文になりますが、ゆったりお読みいただければ幸いです。
江戸時代以前の東海道と琵琶湖の役割
まず、全体像を把握しましょう。「急がば回れ」の語源は、京都と江戸を結ぶ五街道の一つ、東海道の草津宿から大津宿への区間にあります。当時、草津(現在の滋賀県草津市)は東海道の宿場町で、京都へ向かう旅人の要所でした。琵琶湖は日本最大の湖で、古代から交通の要衝。湖を越えるルートがいくつかありましたが、風が強く、船旅は常に命がけでした。
東海道のルートは、草津宿で大きく分岐します。一つは湖を船で横断する「矢橋の渡し」ルート、もう一つは陸路で瀬田川を越える「瀬田唐橋」ルートです。直線距離では船の方が短いはずですが、実際は天候次第で大惨事になることが多かったのです。この対比が、ことわざの核心です。宗長の歌は、武士(もののふ)が京都へ急ぐ際の選択を詠んだもので、「矢橋の船は速いけど、急ぐなら回って瀬田の長橋を通れ」というアドバイスです。
琵琶湖の歴史を遡ると、平安時代から水運が盛んでした。湖は近江の守護神のような存在で、源平合戦や戦国時代にも舞台となりました。織田信長は天下統一の過程で、琵琶湖の水運を活用しましたが、瀬田唐橋の整備も彼の功績です。こうした背景が、旅人の選択を複雑にしていました。
矢橋の渡し:速いが危険な琵琶湖横断ルート
矢橋の渡しは、草津宿から琵琶湖を直線で渡る最短ルートとして人気でした。まず、草津宿の京口追分で矢橋道(やばせみち)と分かれ、徒歩で矢橋湊(現在の草津市矢橋町)へ向かいます。距離は約3里(約12km)。ここから船に乗り、石場湊(大津市石場)まで湖を渡ります。直線距離は約6kmで、風が順調なら1時間ほどで到着。そこから大津宿まで陸路でつながります。
このルートの魅力は速さです。当時の旅人は、馬や徒歩で移動する中、船なら湖を一気に越えられる。記録によると、江戸時代には定期の渡し船が運航され、商人や武士が利用していました。矢橋の名は、古代に矢を射る競技が行われたことに由来すると言われ、湊には常夜灯や茶屋が立ち並び、賑わいました。
しかし、危険が伴いました。琵琶湖は「比叡の風」と呼ばれる強風が吹き荒れ、急な嵐で船が転覆する事故が頻発。『東海道中膝栗毛』などの文献に、湖上での遭難談が記されています。宗長の歌で「速けれど」とあるのは、この速さを認めつつ、リスクを警告しているのです。室町時代、宗長自身が旅人として琵琶湖を渡った経験から生まれた歌でしょう。連歌師として全国を巡遊した彼の視点は、リアルです。
現代でも、矢橋の渡し跡は散策路として残っています。草津市内の矢橋公園には、復元された常夜灯があり、湖面を眺めながら当時の緊張感を想像できます。2016年の実験では、カヌーで再現したところ、順風なら確かに速いですが、風が変わると大変でした。急ぐ旅人が船を選んで命を落とす悲劇が、ことわざの教訓を生んだのです。
石場の航路:矢橋から大津への命がけの水路
矢橋の渡しとセットで語られるのが、石場の航路です。石場湊は大津市の琵琶湖畔にあり、古代から港として栄えました。航路自体は、矢橋から南東へ約6kmの湖上ルート。船は小型の和船で、帆を張って風を頼りに進みますが、湖の中央部は水深が深く、波が高いのが難点です。
石場の名は、湖底に石が沈んでいる浅瀬から来ており、船の進路を妨げました。江戸時代、地図(『近江輿地志略』)には、この航路が「近道」として描かれていますが、注釈に「風待ちの長引くこと多し」とあります。旅人は矢橋で船に乗り、湖を渡る間、祈るような気持ちだったでしょう。石場湊に着くと、瀬田川の河口近くで、京都への玄関口です。そこから大津宿、さらには三井寺や比叡山へつながります。
この航路の歴史は古く、奈良時代にさかのぼります。平城京から遷都された平安京への物資輸送で、琵琶湖水運が重要でした。石場は荷揚げ場として機能し、米や絹が積み替えられました。戦国時代、信長はここを軍事拠点にし、船団を組織。豊臣秀吉も琵琶湖を活用しました。しかし、平和な時代でも、船頭の腕次第で運命が変わる。宗長の歌が警告を発したのは、こうした実態からです。
興味深いのは、石場の遺構です。現在、大津市石場に旧港の跡や石碑が残っています。湖畔を歩くと、穏やかな水面が広がりますが、想像力を働かせれば、嵐の恐怖が蘇ります。航路の全長は短いのに、心理的な負担が大きかった。現代のフェリー航路が安全になった今、改めて先人の苦労に敬意を表します。

瀬田唐橋:遠回りだが確実な陸路の象徴
一方、対比されるのが瀬田唐橋ルートです。瀬田唐橋は、瀬田川(琵琶湖の唯一の河口)に架かる日本最古の橋で、歴史は7世紀の蘇我入鹿時代に遡ります。唐の技術を導入した「唐橋」の名で、木造アーチ橋として有名。総延長約70m、13の橋脚からなり、当時は渡し船も併用されました。

草津宿から瀬田唐橋へは、陸路で約12km。矢橋ルートの倍の距離ですが、道は平坦で、宿場が点在します。瀬田の町は温泉地としても知られ、旅人が一息つける場所。橋を渡ると大津宿で、京都まであと少し。織田信長が1570年に本格整備し、石垣を強化。戦国乱世を生き抜く要衝でした。
このルートの安全性の高さが、ことわざの鍵です。船の嵐リスクがない分、確実に到着。宗長の「瀬田の長橋」は、この橋を指し、「長橋」の異称は延長の長さを表します。江戸時代、『日本永代蔵》に「瀬田の橋は長し」と記され、旅の定番です。女性や荷物が多い旅団は、こちらを選びました。
瀬田唐橋の魅力は景観です。『源氏物語』にも登場し、紫式部が詠んだ「名高い瀬田の橋」。四季折々の美しさで、桜や紅葉の名所。現代では、国宝級の文化財として保存され、歩行者専用橋として観光客を迎えます。橋脚の石積みは信長の遺産で、琵琶湖の水流を耐え抜いています。矢橋の速さと瀬田の確実性、このコントラストが人生の教訓を象徴します。
なぜ「急がば回れ」になったか:リスクと知恵の比較
では、なぜこの歌がことわざになったのでしょうか。矢橋の船は速い(距離6km、時間1時間)が、事故率高く、遅延も。対して瀬田ルートは長い(12km、時間3-4時間)が、安全。急ぐ武士にとって、船の誘惑は強いですが、命を賭ける価値はない。宗長の歌は、こうした実利を詩的に表現したのです。
文献によると、室町後期、琵琶湖の事故は年間数十件。『続日本紀』にも古い遭難記があります。江戸時代、幕府は渡し船を規制しましたが、依然危険。2016年の再現実験では、船が速いものの、天候次第で逆転。まさに「急がば回れ」です。
この教訓は普遍的。ビジネスや日常で、ショートカットが失敗を招く例は多い。琵琶湖は、そんなメタファーです。
現代の視点:訪れてみる価値
今、琵琶湖はレジャーの聖地。矢橋や石場をサイクリング、石橋を散策。歴史ツアーも増え、ことわざの舞台を体感できます。草津から大津へドライブすれば、ルートの違いを実感。琵琶湖の風を感じ、宗長の歌を口ずさんでみては?
結論:遠回りの智慧
「急がば回れ」は、琵琶湖の矢橋の渡し、石場の航路、瀬田唐橋から生まれた宝。速さより安全を優先する知恵は、今日も輝きます。歴史のロマンを胸に、皆さんの旅を願います。




